どの部門にも
アホがいます
chosenki



上司から思わず聞き返したくなる指示が出た。「うさぎの着ぐるみを着て、チラシ配ってくれる?」配属間もない4月の週末のこと。それは、横山にとって衝撃的な出来事だった。

横山は、全国でも知名度の高い国立大学を卒業していた。大学では心理学を学び、吹奏楽部で活躍した。福祉か教育の仕事に就こうと考え就職活動をしていたところウィルに出逢った。 会社のトップが立派なことを言っていても社員はイマイチという企業が多いと感じていた中、一人ひとりが自分の言葉を持って語るウィルの社員に惹かれた。 ここなら「替えの利く鉄砲玉的社員」ではなく、存在価値を感じながら成長できる!と、 仕事内容より環境でウィルを選んだのだった。
ところが、販売促進部門に配属された横山の初仕事は、着ぐるみを着てチラシを配ること。 「こんなの誰だってできるやん!」 横山は会社選びを間違ったのではないかとさえ思った。 しかし、その後も週末になると、販売現場にて呼び込みのための旗振りや、チラシの宅配業務など、 「誰でもできる」と横山が思う仕事を命じられる期間が続いた。この期間が、後の横山の仕事の肥やしになるとは、その時は到底思えなかった。





配属先は、営業推進グループ営業企画チーム。チラシや看板、パンフレットやホームページなどの媒体制作を行い集客することがその使命。 「自分の食い扶持は自分で稼ぐ」というのが口癖の上司の下、目の前のことを必死にこなす毎日が続いた。

社会人としての基本動作もままならない中、触ったこともないグラフィックソフトの習得、不動産の公正競争規約の勉強、大学の授業で少しだけ習ったウェブ業務、 そして、集客のためのチラシ配りなど販売現場のヘルプ業務。 どれも決して嫌ではなかったが、こんなことやっていていいのかな・・・と、ふと逃げの気持ちを持つこともあった。

元来、飲みこみの早さに自信があった横山には、「多分、大丈夫だろう」で物事を進めてしまう悪い癖があった。 ウェブ業務においてそれは致命傷。 「もうやらんでええ!」上司の叱責の声が上がったのは一度や二度ではなかった。 どこか半身で仕事をしていたのかもしれない。 求められる結果に対して自分のOKラインが低く、ちょっとした制作物にもつまずき、必要以上に時間をかけてしまっていた。 泣いたことなど数知れず。終電の時間になっても終わらず、会社で朝を迎えたり、始発で出社したりした。

「情けない。自分はもっとできるはずなのに・・・」自分へのもどかしさと、やり場のない憤りをどうしたらいいのか分からず、 会社から自宅まで約10kmの道のりを歩いて帰ったこともあった。 「こんなんじゃ、自立なんてできない。稼げる人間どころか、給与分の仕事もできていない」。

悶々とする気持ちが解けない1年目の秋、リーマンショックが全世界を襲った。 100年に一度の大不況のお陰で横山の業務範囲は広がっていった。 販促費削減のための外注ストップで、ウェブ業務の内製化が進んだ。 否が応でも腕を上げねばならない。 加えて、ウェブ業務を分担していた先輩社員の結婚退職が決まり、業務を一手に引き継ぐこととなった。 もがきながら「量の壁」を越え、同時に「質の壁」を越えることも求められた。 「できない」と言う選択肢が無い中、横山の腕は上がり、いつしか社内では「横山ならやってくれるだろう」が、普通になっていった。 おそらく、外部から見たら大したことのはずなのだが・・・。




入社3年目に突入した初夏のこと。 「なめとんのか、こっちは本気でやっとんねん!」 納期延長を申し出た横山に対し、ウェブチームのマネージャー室(むろ)の怒号が響いた。 瞬時に横山は心の中で言い返した。「こっちだって本気でやってます!」。

入社から2年間。社内でウェブデザインの先駆者としてやってきた横山にはある自信があった。 教えてくれる者などおらず、何が分からないのかも分からない状態で、専門書に首っ引きで知識を習得していくしかなかった横山。 その時点においてやれることは全てやり尽くしている、これ以上できないというところまではやっているという自信だ。 だから、これ以上のことを求めるなら猶予が欲しいということだった。
誰の目にもその言葉ができない言い訳ではないことは明らかだった。言葉にこそせずとも、横山の気迫は室に伝わっていた。 室とて本気だからだ。本気と本気のぶつかり合い。共に成し遂げたい目標があるからこそ、そのエネルギーが活かされる。 かくして、ウェブチームの一大プロジェクト「マンション大全集」は完成し、話題を呼んでいる。




「自信」とは、誰かが付与してくれるものではない。自分自身で体得していくものである。 横山が真の自信を積み上げ、それを実感し始めた頃、例の口癖を発する上司が行動に出た。 「自分の食い扶持を自分で稼ぐ」ため、他社サイトの制作を受注するためのサイト「ウィルスタジオ」を立ち上げるというのである。

チームの総力をあげての新たなる挑戦。横山はワクワクした。自分の力がどこまで通用するのか、試すチャンスがきたのだ。 それは「制作費」というカタチとなって示される。依頼者の「ありがとう」も嬉しい、上司の評価も嬉しい。 だが、自分の制作物そのものの値打ちが金銭で表示されることに、横山は緊張と興奮を覚えた。「プロ」というニ文字が横山の頭を過った。

通常、ほとんどの不動産会社が専門業者にホームページ制作を任せている中、不動産会社の中の制作部門「ウィルスタジオ」に任せるメリットとは何なのか? チームでミーティングを繰り返し話し合った。何より『現場を知っている者が作る』ことが、その最大の強みだという結論に至った。

そして、立ち上げから1年余。全国各地からホームページ制作の依頼を受け、多くの実績をつくった。 案件ごとに課題が違い、技術も対応力も磨くことができた。 以前にも増して多忙な日々が続いたが、やがてその実績が認められ、横山はリーダーに昇格。 チームは、社内で表彰を受けることができた。

思えば、着ぐるみを着てチラシを配り、8月の炎天下に旗を振り続けた1年目、集客の大変さを実感した。 営業マンの生の声がデスクワークでは分らない臨場感を教えてくれた。 命がけでウェブと向き合う責任者との格闘が、仕事に対するスタンスを学ばせてくれた。 ほかにも3年余りで山と積まれた経験全てが、横山、チーム、そして会社の強みとなっていた。 横山は思う。どんな経験にも無駄はない。すべて自分次第で糧になる。 今、横山はチームと共にオンリーワンの存在を目指す。


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